私は、「前例がない」という言葉が、昔から大嫌いでした。
だって、前例って、最初に動いた人が作るものじゃん、って。
前例を守っている人ほど、自分の頭で考えていない人。
だから、前例を絶対の正しさとしてモノを言う人に、私はついては行きません。
責任を取る覚悟のない人ほど、前例を”やらない””やれない”言い訳にするから。

前例を知ることが意味がない、とは言いません。
でも、前例はあくまで前例。
後例、つまりこれから先のすべてじゃない。
大事なのは、前例に倣うことじゃない。
今、自分で考えて、判断して、行動して、その結果の責任を取る覚悟。
前例にあることも、前例がないことも、こうして生まれた一つの結果にすぎない。
前例の範囲にいるうちは力はつきません。
前例通りやっているうちは半人前。
前例にないからこそ面白い。
前例からしか、AIは考えられない。
そう、前例なき道こそ、人間の出番。

今は予期せぬことが起こるのが、未来。
その度に、今ある前例も、ない前例も意味を失います。
だから最後にものを言うのは、前例のない場所で考える力、行動する力。
前例に見識深くなる人より、前例のない事態において、自分を信じ、他人に頼られる人でありたい、と。
前例は、それ自体を守るためではなく、「前例なき挑戦」のためにあるんじゃないの?
前例はないけど信じる道、賭ける価値のある道を進むための自転車の補助輪。
私にとって前例の価値って、そんな程度のものです。

株式会社アズワン_小林大祐