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キツい、ローペース

キツい、ローペース

 

高校生の時に、毎冬30㎞の「持久走大会」というイベントがありました。

基本はマラソン。

ですが、自分のペースで完走しなさい、がタスクで、道中走ってもよし、歩いてもよし。

朝、学校近くの古利根川のグラウンドに集合し、土手沿いを走って折り返して帰ってくる。

沿道には、先生、事情がある不参加者、父兄や地域の人が応援する、というよくあるイベント。

ちなみにゴール次第、順次着替えて、各々(おのおの)が帰宅、解散、というシステム。

 

そのころの私は、短距離は決して速いわけではなく、むしろ正直遅い方。

一方、長距離はと言えば、小学校からずっとサッカーをやってきたのもあってか、いつも母集団の上位、周りと比べたら得意な方でした。

 

で、その持久走大会。

高校1年生の時は、なんていうか曲がった思春期だったということもあったのかな、スタートも後方からノロノロと、道中は友達とべらべら話しながら、文字通り走ったり、歩いたりの惰性ジョギング。

ゴールするころには、スタート地点の本部は撤収始めていて、まだゴールしていない生徒の荷物は、片付けられたテントの脇のブルーシートによけられていた状況。

高校二年生になると、付き合っていた彼女が学内の方の変わったからか?笑、一応最初から最後まで、自分の走ることのできる速度を維持しつつランニング。

結果上位1割くらいにははいれたのかな、ゴールではゼッケン番号を呼ばれた記憶。

高校三年生では、高校二年生のタイムや順位は上回ってやろうと、スタートも陸上部の先頭集団の後方ぐらいに位置取り、いけるところまで「準」先頭集団をキープ。

順位爆上がりとはいかなかったけど、ゴール後は倒れこんで器官ヒューヒュー言わせるくらいに結構マジに走った記憶があります。(ちなみに一年前とは違う彼女でした笑)

 

さて、この三年、三度完走した持久走大会。

どの年が一番「キツかった」でしょう。

 

走っているときの肉体的負荷、消費するエネルギーで考えれば、絶対に高校一年生の時が楽なはずですよね。

でも、実際は、というか体感は、違う。

高校一年生の時が、終わった時一番しんどかった、断トツで。

高校二年生、三年生のキツさの比較はできない(覚えてない)けど、「高校一年生の時の持久走大会ってきつかったなぁ」ということは即答できるし、一種の黒歴史として刻まれています。

 

ハイペースで飛ばす先頭集団と、ローペースとも呼べないダラダラペースで進む後方集団。

やっぱり先頭集団の方が、走っているスピードが早いから、先頭集団の方が辛い。

 

理屈で言えば多分そう。

でも違う、逆。

前へ、上位へと走る、いや挑む自分を自覚し、そして何より、その自身の挑戦の様(さま)をギャラリーや、なんなら折り返しですれ違う仲間に応援されてる時の方が、「楽」なんですよ。

 

頑張る自分、頑張れという周囲。

それはシンプルに気持ちいい。

だからシンプルに頑張れる。

何なら体感的にはいつもより楽に、速くそして長い時間走れる。

逆に例えば今だってジムで1人で黙々と走る、これはね、スピードが遅くてもね、しんどい。

誰にも見られてないんだもん。笑

 

結局、自分が挑戦できて、応援されて、加えて大げさでなくてもいい、何らかの結果、というか手応えが出ちゃったりしたら、何だってどこまででも頑張れます。

挑ま(め)ず、見られず、であれば、たとえトロトロペースで走っていても、”ずっとそのペースで走り続ける”事こそが、辛い。

 

仕事も、会社も全くそれと同じだと思います。

 

仕事そのものが辛いってわけでも、会社が嫌いってわけでもない。

何なら仕事はそつなくこなせるし、会社では平均的な立場や権限も与えられているような気がする。

 

でもこのペースは、自身が走るべきペースではないかもしれない。

楽に走れるペースではある、でもこのペースで走っていては、いつまでたっても先頭集団の影も見えない。

前へ、先へ、と挑戦していないから応援もされない、だから、それがしんどい、っていうことも、、、ある。

 

かつて走った古利根川の記憶が蘇(よみがえ)った、昨夕の宴席、旧知の仲間、後輩から突然受けた報告。

 

速く長く走ることのできる選手、それに挑もうとする選手が、文句も言わず笑顔でチームを去っていく、その本質。

彼らの挑戦の機会、彼らを応援する姿勢、双方の重要性をチームとして考え続けなければいけないその大切さを、ある種の恐れと共に再認識した雨の夜の出来事でした。

 

株式会社アズワン_小林大祐