同じ情報に触れていれば、同じ結論に至るはず。
この思い込みが強くなりすぎることで、いわゆる「同調圧力」なるものが生まれます。
でも、目の前のことがらを、誰もが同じ様にを見聞きしているわけではありません。
虹をだって、日本人は七色だけど、どこかの国では三色。
現実世界の景色、そこで起こっている事柄は同じことかもしれない。
でも、それを見聞きし感じる人間が同じではないのだから、同じもの同じようには見ることはできないのは、理。
同じ情報に触れていれば、同じ結論に至る、なんてありえない。
現実社会のあらゆることに、「誰もが納得出来る考え方や答えがあるはず」という前提に立ってしまうこと自体が間違いの始まり。
その末、自分と同じことに触れた誰かに、「なぜ私と同じように感じないのだろう」と思ってしまう、愚。
摺りあうまで話し合おう、「あなたは本当のことを知らない」「私が教えてあげないといけない」となってしまっていませんか。
同じ雨に打たれても、鬱陶(うっとお)しいと思う人も、一雨欲しかった人もいて、感じ方も考え方も個人個人で違います。
「同調圧力」の奥にある、誰とでも、いつかはわかりあえるという期待は、行き過ぎれば劇薬。
同調欲求は、あるリミット(限界)をもって、きちんとコントロールする、つまりあきらめなければいけません。
私たちはそれぞれに違う世界を、社会を、人生を生きています。
その前提に立って、それぞれの関係性において濃淡のある同調をし、あとは我関せず、でちょうどいい。
自分は彼と、彼は自分と違う。
その違いは擦りあわせる、必要はありません。
同調ではなく同質。
つまり、違うはず彼との同じ部分こそを見出せれば、吉。
それが本当のつながり。
とにかくホント、、、
今も昔も、自分は偏ってないと信じている人の「偏り」が、厄介で危険、、、面倒です。苦笑
株式会社アズワン_小林大祐