ある日、蛙が二匹、枯れ井戸に落ちました。
井戸の高さ(深さ)は、とても蛙にはよじ登って到達できないような高さ。
それでも二匹の蛙は、必死でその穴から出ようとして跳んでは、枯れ井戸の壁をよじ登ってみましたが、淵には届きません。
そのうちに、井戸の外にいた他の仲間の蛙たちが、井戸の淵に集まってきて、覗き込み、懸命に脱出しようととしている二匹を応援し始めた。
頑張れ、きっと出れるぞ、ああしろ、こうしろ、そうじゃない、と。
二匹の蛙はその声を聞いて頑張った。
けれどやはりそれでも淵には届かない。
すると淵から覗き込んでいる仲間の応援の声は次第になくなり、代わりに諦めの声を上げ始めました。
もうだめだ、諦めた方がいい、無理な挑戦だから仕方ない、と。
彼らの声は二匹の蛙にも届いて、一匹の蛙はついに跳ぶのをやめてしまった。
そして座り込むと、疲れと絶望で、やがて彼は静かに死んでいってしまいました。
それでも、もう一匹の蛙はそれでもずっと跳び続けました。
もうだめだ、諦めた方がいい、という声がますます広がる中、何度も何度も跳び続け、枯れ井戸の壁をよじ登る。
すると、ついにある瞬間、蛙は穴の淵に到達。
彼は穴から這いあがってきました。
井戸の淵にいた仲間の蛙たちは驚き、その蛙のもとに集まると、素晴らしい!よくやった!とあらゆる賞賛の声を、彼にかけつづけました。
ところが、枯れ井戸から這い上がった彼、当の本人であるこの蛙は、そんな仲間の蛙たちを、“ぽかん”とした顔で見て、全く反応しません。
そんな彼に、仲間の蛙たちも、一様に怪訝な顔をして、ただ眺めているだけ。
実は彼、穴から這い上がったこの蛙は、耳が聞こえなかったのです。
仲間の蛙たちの励ましも、罵りも、その蛙には届いていなかった。
彼が、ひたすら枯れ井戸の壁をよじ登り続けていた時、見えていたのは、到達すべき枯れ井戸の淵と、その向こうにある、広くて高い空だけでした。
自分が何かを成し遂げたいとき。
そのために、自身で、ただひたすら為すべきことを為しているとき。
世間や周囲の声から「正しく距離を置く」ことは、とても重要なことなのです。
そんな教訓を得る事のできる、どこかの外国の話を、自省も兼ねてご紹介。
株式会社アズワン_小林