私はいう。
「なんだかんだといっても、結局仕事が一番楽しいな。」
彼は言う。
「なんだか、今の仕事がつまらないんです。」

話がどうもかみ合わない。
仕事が”楽しい”、”楽しくない”が擦りあわない、ということではない。
私が「楽しい」と評する“仕事”と、彼が「楽しくない」と評している“仕事”とが、微妙に違うことに気づかされる。
料理が楽しい。
あるいは、料理が好き、というとき。
具材を選ぶのが楽しい、包丁で切るのが楽しい、鍋をふるうのが楽しい、好き。
ま、これあり。

一方で、完成した料理を誰かに振る舞って得る、「美味しい!」という一言。

あるいは、その料理を振舞えるだけの自分の力量で、プロになる、自分の店を持つ、儲ける。
料理で認められ、有名シェフになる。監修商品なんかプロデュースしちゃったり?
これら、それぞれの瞬間に得る、楽しい、好き、という世界線。
前者は、料理という手順、「アクション」に対する評価。楽しい、好き
後者は、料理を経て得る「報酬」に対する評価。楽しい、好き。
という整理。
「なんだかんだといっても、結局仕事が一番楽しいな。」
仕事で出会う人との縁、大切な仲間、お客様。
仕事を通じて触れる様々な情報や知見、関わる企業、プロジェクト。
もちろん、仕事の稼ぎ=お金もだけど、それ以上に、仕事に投じた時間が、そのまま経験やキャリアという財に代わっていくというサイクル。

ふと思う。
この「報酬」、仕事を媒介せずに、どうやって手に入れることができる(できた)だろう?
少なくても私は、仕事以外の、仕事以上の獲得の術を知らない。
「なんだかんだといっても、結局仕事が一番楽しいな。」
言い換えれば、仕事を通じて、これらの報酬を得ている、今の自分が楽しい、と同義。
ま、なんだかんだといっても、という前置きはあるんだけど。笑
勿論、一つ一つの仕事、アクションはめんどくさかったり、気が向かなかったり、納得のいかないことなんて、山ほどある。
でも、「美味しい!」の一言を得るために行う料理の過程にだって、めんどくさい食材の下ごしらえだってあるし、包丁で指でも切れば嫌な思いもするだろうし。
それと同じじゃん?という整理。

冒頭の「なんだか、今の仕事がつまらないんです。」という彼。
別の彼は「好きなことを仕事にしたいんです。」というけれど。
ねぇねぇ、その”仕事”って、どっちの意味なん?
仕事の「アクション」?
仕事の「報酬」?

それが整理できないと、私もアドバイスのしようがないっす。
株式会社アズワン_小林大祐