努力できる才能、という言葉をよく聞きますよね。
これ、「才能」⇔「努力」の対比軸においては、否定はしません。
ただこれ、、、
全方位に、ステレオタイプに用いるのは気を付けたほうがいい。
特に、自身の努力を必要以上に掲げたり、それを他者の努力と比較して、努力≒自己責任(論)のように扱うのは、違う。
俺は努力してこうなった、お前は努力してないからって自己自得、みたいな。
こういうかまし、しがちな人、大人としては結構寒い。
同時に「努力」⇔「環境」の軸でも考え、発言してみて欲しい。
私が思うに、実は多くの努力は、努力ごときは、大したことじゃない。
だって、、、努力できる時点でもう恵まれてんじゃん。
世の中、努力すらさせてもらえない、できない人が一定数いるのだから。
とにかく。
まず君には、環境と最低限の能力があった、ということです。
どれほどの努力か知らないけど、まぁ君がどうしても自身の努力を語りたいなら、あなたと同じリングの上で、同じ階級の相手に語りましょう。
株式会社アズワン_小林大祐