「努力は夢中に勝てない」という言葉があります。
これ、もともとは論語に残された、孔子の言葉「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」を翻訳したものだとか。
何かを達成したくて、それをするのか。
それをするのが好きだから、それをしているのか。
ただただ夢中になっている人をみて、努力の人は「あれだけの努力を続けられるのは素晴らしい」と思うかもしれない。
逆に、ひたすら努力をしている人を見て、夢中の人が「あんなに夢中になれるなんて羨ましい」と思うかもしれない。
いずれにしても、努力か夢中かは本人の主観で決まるものでしょう。
努力は、行ってみれば取引のようなものです。
夢や叶える為に、目標点に到達するために努力する。
目的が達成すれば報われた事になり、かなわなければ報われなかった事に。
つまり時点の努力というプロセスは、未来の結果によって評価されます。
もちろん頑張ること自体が素晴らしいけれど、もし頑張っても目標に届かなかったとき、あれだけやったのに私は報われないんだという、言いようの無い思いが残ります。
対して、夢中には取引はありません。
とにかく「今ここだけ」。
究極は報われなくても構わないと思っているし、そもそも報われるか否かが意識にありません。
夢中なこと、それをしている、出来ているその瞬間が既に「いいね」な自己評価であり、充足感というリターンを産んでいます。
夢中は、言わば即時報酬の世界です。
仕事でも、趣味でも、どちらともいえない個人的な活動みたいなものでも、とにかく人が「自分の意志で何かを目指す」ときには、往々にして努力と夢中の両者の間を揺らいでいきます。
好きなことをやれている、という点で幸せ。
同時に、どこかで、できれば何かを掴んで報われたいと思ったりもして。
でも現実として、もともと夢中から始まったことが、努力の領域に突入する、というパターンはしばしばありますよね。
だから夢中ではじめたことが、時に努力の感覚が強くなりすぎた時には、夢中に戻れる方法を持っておいた方がいいかもしれません。
考えてみれば、夢中を努力にしたい、とは思わないけど、夢中に戻りたい時は人にはあるわけですから。
その意味で、「努力は夢中に勝てない」という言葉は正解なのかも、ですね。
株式会社アズワン_小林