多様性。
倫理的にも、イノベーションの観点なんかからも、今、絶対的なポジションを得ているワード。
私は多様性の「理」も「利」も概ね否定はしません。
が、どうも曲解?過大評価?されてるのではじゃないかな、という風に思うことがあります。
色々な人がいるよね。
色々な立場があるよね。
色々な意見があるよね。
とにもかくにも色々、みーんないいよね、ありだよね。
で。議論も事態も収束しない。
で。何も決まらず、前に進まず。
ん?
多様性、多様性、多様性、、、に夢中になって、「色々」な立場や意見に目を向けてみる。
けど、ここにいる皆の共通点=「同質性(の確認)」は何処に?笑
実は人の遺伝子の配列は99.9%は同じ。
残り0.1%が人の個性を作っています。
現在は、遺伝子の研究、ゲノム解析なんかで、その0.1%差異に注目=多様性に注目できるようになっています。
でも差異っていうのは、そもそも何を同質としているのかによって、解るもの。
何が、どこまで同じかを前提に、さてそこにどんな差異が、どれだけ、どのようにあるっていうのがわかるわけです。
共通する何か、がある(が解る)。
だから、そこに差異が生まれる(が解る)わけです。
コミュニティーとか組織において99.9%の同質性を、相互にしっかり自覚する。
それが会社だったり、同じタスクを負うビジネスパートナー(チーム)だったりすれば、その同質性は、社是社訓や経営目標、あるいは個別プロジェクトのミッションなどにあたります。
とすると、例えば、
「我が社も将来の発展のために、経営メンバーの多様化を図り、女性?外国籍?社外?の役員を入れましょう。」
みたいな、ありがちな話。
これどういう意味でしょうね?
多様な人がいるから、ディスカッションがうまくいったり、困難な局面を打開できるわけじゃない。
まずは「どういう問題を解決したいのか?」っていうところが同じじゃないといけないじゃない。
99.9%まで、が必要かはともかく、概ねしっかりと同質性を担保すること。
先の例では「我が社の将来の発展」を沢山の人や立場で議論することより、先ずはその将来の絵姿や、至る道筋をどれだけ共有しているか、が鍵、であり先。
多様性。
もうお分かりの通り、多様性(の必要性)それ自体は手段。
目的にはなり得ないのです。
成長する組織を作るでも、住みやすい世の中を作るでも、なんでもいい。
要するに何かを為す、その目的が一緒じゃなければ、そこに多様な人を集めるのも、多様な意見を聞くのも、皆で議論するのも、はっきり言って時間の無駄です。
同質性を否定する、同質性に優先する多様性なんて、絶対に存在し得ない。
言い換えれば、一見排他的に見えても、同質性を大切にできる人や組織ほど、意外に多様性に富み、多様多方に興味関心を注ぎ、そこにある人や意見をも尊重するものなのです。
株式会社アズワン_小林大祐