当たり前の話ですが、人間50も過ぎると、わが身には色々な思い出が積層しています。
それと同じくらい”後悔”も。
「あの時、ああしておけばよかった。」
「あの人にあの一言を言っておけばよかった。」
そんなことが、夜中にふっと浮かんでは、消え。
中には、決して誰にも言えない後悔も。

同時に。
これも50も過ぎてですが、ようやく理解に至る境地があります。
それは、おおよそ後悔っていうものが、自分自身で、自分の人生を生きてきた証だ、ということ。
人生において、「自分自身で」決断することをしなかった、挑戦しなかった人には、後悔すらない、ということ。
後悔できること。
それは、間違いもあったろうが、全力で、逃げずに前進した、しようとした人にだけ与えられる権利です。

私はサラリーマン時代に、大きな失敗をしました。
周りから散々叩かれました。
勿論その失敗から、大きな、多くのことを学びました。
あの時の学びは、言葉を換えれば一つの「後悔」なのかもしれません。
それでも今、私は、やはり今日(こんにち)の自分、今日までの自分の生き方の一切を肯定しています。
あの時、確かに学び=後悔はあった。
でも、間違いなく、あの時も私は私の人生を私のチカラで前に進みました。
失敗した自分でなければ、ああやって生きてこなければ、もっともっと後悔してたはず、なんです。
とんちのようなお話ですが。笑
要するに、問題は過去じゃない、ということ。
自身にある過去を認めない、許せない、、、
そして過去からつながる、今の自分を肯定できないこと。

どんな人でも間違い、失敗する。
そこに後悔、というものが生まれる。
自分自身で、自分の人生を生きてきた証としての、後悔が。
だから、過去から学んだら、そんな自分を自分で許す。
自分の頭で考え、足で進み、心で決めた、自分の人生こそを肯定する。
あの頃の俺、ようやったじゃねえか、って。
後悔は無理して消そうとするものじゃない。
大事に抱いて生きるもの。
後悔は、自身の人生を生きたあなたの立派な権利。
自分自身の大切な人生のレコードなんですから。

株式会社アズワン_小林大祐