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恐れと、危険と、やってみなはれ

恐れと、危険と、やってみなはれ

すでに社会に巣立った、私の三人の息子たち。

 

彼ら、というか彼らの世代と接していて感じること。

彼ら、彼らの世代はもう誰も生涯一つの会社にい続けられるとは思ってはいない、ということです。

 

終身雇用、という概(観)念?は、既に彼らのデフォルトにありません。

今や、ましてやこれからは転職や、副業が当たり前。

 

そうなると、人生で給与、というか自身の収入が上下することは、織り込まなくてはならない頻繁なイベント。

つまりは、じわじわと安定的に給与が上がっていくことを前提にした、人生設計はしない、できない。

故に“そういう生き方を叶えるスキル”は、あまり意味をなさなくなる=興味がなくなっていっているのでしょう。

さて、同じような切り口でいえば、私達、経営者もまた、じわじわと安定的に給与が上がっていくことを前提にした人生設計にない人種。

時に収入は乱高下します。

そもそも収入を得るためには、収入を得るためのキャリア=仕事を作り出さなくてはなりません。

 

私も起業した時には、自分が社会でキャリア=仕事を創っていけるか、本当に本当に不安でした。

まぁ、それは今も変わりませんが、、、苦笑

 

けれど一方で、実際に起業してみればとなんとかなる、というのも事実?、なのかもしれないなぁ、とも、「今は」思っています。

 

私が大学を卒業してから20余年勤めた会社を辞め、2度の転職の末、起業するまで3年。

この間の経験を通じて学んだことがあります。

 

それは、人生において「恐れ」は紛れもなく恐れ、ではあるものの、恐れと「危険」というものとは決して同じではなかった、ということです。

少なくとも、「恐れ」ていた多くのことの正体は、「危険」という代物ではなく、恐れだととしても、自身が恐れていたほど、大したことではありませんでした。

 

「危険」なことは、本当に危ない。(当たり前ですが笑)

しかし、大体人は、その数倍の範囲を勝手に「恐れ」ているものです。

 

特に、一定無駄に想像力が豊かなのに、本当の意味での人生経験が少ない、そう、私のような人間は、“わからない”という理由で、様々なことを恐れます。

正確には”知らない”だけのことなのですが、自分の中で”怖い”ことに自動変換されているのだと思います。

 

 

起業という体験をした今、私はかつての私に「大丈夫なんとかなるから、恐れずに一歩踏み出しや!」と笑顔で尻を叩くでしょう。

しかし、その一歩とやらを踏み出す側は、怖い。

 

なぜなら、この「危険」と「恐れ」は違う、ということの理解は、極めて主観的なものであり。

故に、体験=やってみること以外では理解ができないからです。

や(体験す)ればわかる、やらな(体験しな)ければわからない、、、やってみなければわからない、ということです。

 

これまでの社会インフラである、終身雇用というレールを走る人生ではなく。

海図と羅針盤を頼りに自身で舵を取り、これからの社会=海原で、自身が思ったように人生=海路を取るには、「危険」なエリアと、それ以外のエリアがわかることが必要になります。

 

なれば勿論、リスク管理(回避)が大切だ、ということを心得ることは重要です。

と同時に、「恐れ」が大きければ、実は過度に制限された中でしか生きられない、ということも絶対に知っておくべきです。

 

要するに「適切に恐れる」ことが必要で重要だ、ということ。

 

その為には、一歩ずつ「恐れ」に踏み込んで、本当に「危険」なエリアとの境目を明らかにしなければなりません。

そして、この“「恐れ」に一歩踏み出す瞬間”のことを、往々にして私たちは挑戦と呼んでいるのです。

 

 

自分を育ててきた親父が生きてきた社会とは、およそ異なる社会で生きる息子たちへ。

君たちの親父の人生、時代は、社会の、会社の、そこでの自分の枠を壊すまい、と恐れながら生きることが大半正解とされた人生、そういう時代でした。

 

だから、様々なルールチェンジが進むこれからの社会を生き抜く君たちのために、私にはそのまま譲れる成功のフォーマットはありません。

 

ただ、人生の「恐れ」は「危険」というものとは似て非なる別物で。

それを知ることができたのは、人生における自分の行動=やってみた時だけだった、という経験。

というか、今なおそう生きているという事実、は伝えておこうとおもいます。

 

そう。

やってみなはれ。

 

株式会社アズワン