どんな(何を)挑戦をするか?
いつから?どうやって?
“サラリーマン時代の”私を含めて、こんなふうなこと考えている人はとても多いですよね。
これ、大前提に挑戦を比較的「仰々しいもの」と捉えている可能性があります。
資格を取る、留学する。
はたまた転職しようか、ましてや起業しようか、、、とか、そんなイメージ。
何にせよ、挑戦の一歩目には、大それた対象を選ぶのは賢くありません。
実は挑戦も「技術」。
ですから、まずはその技術を習得する、自分で自分に覚えさせる必要があります。
例えば、知らない人や、初対面の人に話しかけるということは、今の私のようになんでもない人にはなんでもありません。
でも、その経験、習慣を持たない人にとっては結構な挑戦です。
話しかける前には、心拍数が上がり、汗をかき、相手の反応に怯えながら、一歩を踏み出すことになります。
前にも別の言葉で記しましたが、挑戦って、予想ができない一歩を踏み出すということです。
これまでの延長線上にない世界に、「えいや」と踏み込む心身の動き、踏み込む歩幅の計測、今だというタイミングをとること、それが「挑戦の技術」です。
変わらぬ日常を重ねていても、変わり続ける人と、変われなくなる人がいますが、違いはその日常のなかでの、延長線の崩し方?その勇気の出し方、つまりは「挑戦の技術」の有無や熟練度の鎖那なのかもしれません。
いずれにしても、挑戦に慣れない人の、挑戦の技術の習得期=“序盤の挑戦”のうちは、挑戦の評価を「うまくいったかどうか?」だけでで判断しないことです。
大切な物差しは「リスクをとったかどうか?」。
日常の延長線を崩すことに逡巡し、躊躇する中、それでも一歩を踏み出したという事実にこそフォーカスして、その自分を褒めること。
行動そのものが大事で、結果は運。
挑戦の技術を習得し、挑戦に慣れるということは、これが体感でわかるということです。
なにせ、挑戦のよる心理的な負担は、人それぞれ違いますから。
事実科学的検証では、ある一般人のサラリーマンが、自部署の会議で相手の意見に質問したり反論したりした時の緊張感の数値が、ある歌手が満員の国立競技場で国歌を斉唱した時の緊張感の数値と同値=同様の心理的負担であることが立証されています。
どちらの場合だって、それぞれの挑戦する当事者が、非日常に一歩踏み出すその勇気には違いがないということ。
つまりは全ての挑戦に貴賤はなく、全ては主観的な世界。
自分の挑戦を、他人の挑戦、特にその結果や成果と比べてはいけません。
挑戦したとき。
自分が一歩踏みだした時は、まずは「よし」と心の中で小さくガッツポーズしながら、自分を褒めましょう。
踏み出したが甲斐なく、うまくいかなかったときで、「大丈夫、次がある」と自分を励まします。
この行動と、自分自身との対話によって、「挑戦の技術」は確実に向上していきます。
故に、挑戦の一歩目は、大股で踏み出す必要はありません。
まずは、すぐ目の前にある近くの踏み石でいいので、勇気を出して「えい」と踏み出し、「挑戦の技術」を習得する機会、日常を増やしましょう。
今日は少し自省をも込めて。
株式会社アズワン_小林