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正義の仕組み

正義の仕組み

中学生のころや高校生のころ。

私の時代、地域には、俗に「ヤンキー」と言われる人が普通に存在していました。

帰宅中にかつあげにもあったし(逃げたし)、喧嘩に巻き込まれるということも、両手で数えるほどですが経験しました。

 

やり返す?

耐える?

いや逃げる!

いずれにしても、あの頃に、突然且つ不合理に自分に降りかかる相手の脅威に際して、「どうやってこちらの被害を最小にするか?」ということを計算する本能みたいなものを身に着けたような気がします。

当時の人目がつかない路地裏には、助けてくれる人なんていませんでしたからね。笑

 

今は、世の中にある様々なハラスメント(的なもの)は、例外なく次々に問題視され、禁じられることによって、大勢の人々が守られています。

ハラスメント的なもの、をしっかりと締め出す、“正義の仕組み”があることは、間違いなくいいことですよね。

 

ただ同時に、その“正義の仕組み”の多くの部分は、極めて人工的につくり上げられているということも、忘れずにいたほうがいいとおもいます。

そのことに無自覚なまま、ただ仕組みの中に身を置き、自身で力をふるうことや、自身に及ぶ力に対応することから隔離され、力そのものに鈍感になってしまうと、それは結果として、やがて自分の身を危うくするからです。

 

実は自分を守ってくれる正義が保たれている場所は意外にも小さく、それ以外の場所の方が圧倒的に大きい。

あの頃の路地裏同様、例えば突然「熊」に襲われるその場所に、人工的につくられた“正義の仕組み”はありません。

当然「熊」を相手には、正しい、正しくないの議論に及ばず、殺されるだけ。

 

「熊」とは多少大袈裟ですが、「熊的な」モノ、コト、国や社会は、この世の中に多数徘徊しています。

起業なんかすると、身に沁みて再認することになりますよ。苦笑

 

ということで。

今回は、“正義の仕組”の中で生きている若者の君へ、先日のお悩み相談のアドバイスでした。

 

 

株式会社アズワン_小林