サラリーマン時代を振り返ると、結構「やってみたいな」と思ったことは、わりに「やれた」、もとい「やらせてもらった」タレントだったような気がします。
周囲の仲間と比べて、とにかくいろいろなことを、次から次と「やる」キャラ。
自己分析の範疇を超えませんが、今思うと、おそらく構想力+実行力=「やれる力」というよりも、単純な発信力=「やらせてと言う力」の差だったんだと思います。
同じ会社の他の人は、断られるのが怖くて、、、例えばサラリーマン的に言うと組織や上司の承認や決裁が取れない気がして、、、躊躇している。
一方私は、こう考えてました。
「やらせて」と言うのが、“自分の領域”。
で、(実行の許可を要することにおいて)「やらせてくれるかどうか」判断するのは、“相手の領域”。
相手の頭の中の考えは、ある程度想像できても、全てを見ることはできません。
だから、自分か必要以上に“相手の領域”に首を突っ込んでるなぁ、と思ったら、“自分の領域”に意識的に立ち返るようにしていました。
つまり、その時々、“自分の領域”=自分にできることだけを考えてみるのです。
仮に、相手に了解を得られなかったり、断られたり無視されたりしても、自分が必要以上に落ち込む必要はありません。
Yes or No、断る、断らないの判断は、あくまで“相手の領域”。
相手の頭の中を覗くことができない以上、そして、なぜ相手が断ったのかの真意を相手が伝えてくれない以上、断られた理由など所詮分かりようがないからです。
今回のお話は、決して“相手の領域”など関係ないよ、というお話ではありません。
必要以上に“相手の領域”を気にしすぎて、いやむしろそれを言い訳に、“自分の領域”=自分がやりたいことをやりたい、やらせて、と言い出せない、、、やれない自分を肯定してはいけない、というお話。
ちなみに、“相手の領域”は変えることはできないからこそ、相手を変えるという手もあり、です。
ケースにもよりますけど。笑
株式会社アズワン_小林