何をするにしても、「自信」が持てないという時はあります。
周りはこういうが、私はこう思う、と言い切れる。
周りからどう思われても、この(自分の)ままでいい、やる、やってやる、と腹が据わる。
、、、と、いつものスイッチが入らない。そんなとき。
なぜ「自信」が持てないのか?
そう考える時、改めて「自信」の起源(種類)を考えてみたりします。
「自信」の起源(種類)
一つが、これまでの実績や、時点の権威、肩書に由来する「自信」。
この「自信」は、根拠としている実績や権威、肩書の価値が、絶対的に、あるいは相対的に下がったり、無くなったり、失ったりすると、霧散して消えてしまいます。
対してもう一つは、これまで、そして現在の、自分自身の“行動”に由来する「自信」。
あの時、やりきった自分。
突破した、耐えることが出来た、逃げなかった、等々の行動履歴からくる「自信」。
こちらは、生涯、誰にも奪えません。
つまり「自信」が持てない時とは、まずその時点で、その対象(事柄)に、後ろ盾となる権威や実績がない状態。
そして、類似のケースまで含めて、その対象(事柄)に向き合い、頑張ってみた経験=行動の履歴がない、という状態。。。
ということになります。
で。
そもそも実績や権威なんて、簡単に手に入るものではありません。
ならば「自信」のない時ほど、得たい「自信」を、自分自身の行動を通じて生成する他にないのです。
今、この機会の行動で、です。
なりふり構わず、ひたすらにやりきった行動は、「自信」となって堆積(たいせき)します。
ちっぽけな実績や過去の権威に縋(すが)らず、少しづつでも、確実に行動あるのみ、、、
です。(と自分に言い聞かせる回なのです。)
株式会社アズワン_小林