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評価、の幻想

評価、の幻想

 

部活とかやってれば、あるある。

なんで、俺じゃなくてあいつが試合出れるの?

サラリーマンとかやってれば、あるある。

なんで、俺じゃなくてあいつが課長になるの?

 

あいつが評価されて、俺が全然評価されてなくて、これどういうこと?

 

ちょっと待ってください。

誰かが自分を、逆に言えば自分が誰かを、正当に、正確に評価できる、と。

そう思っていることは間違っているかも、と考えてみてください。

 

例えばサラリーマンの場合、上司からの評価とかって、結構な確率で適当。

これぐらいに思っといた方がいい。

所詮は、なんとなくの主観やイメージ、評価者以外の評判や噂、そんなことが優先されて、上司は部下を適当に評価するもの、みたいな。

 

例えば、youtubeとか、映画の作品、とか、昨今賛否あるけどせめて食べログとか。

これらが、まだマシだと思うのは「大勢」の「大衆」が判断することで、なんというか、評価が分散されるというか、そこの関係コミュニティの外の視点で評価される、点において。

 

対して部活や会社の評価なんて、監督やコーチだけで選手を、部長や課長だけで部下を、スパッと評価する。

もうこうなると、そもそも正当に?正確に?評価ってされにくいと思うんです。

 

だから、偶然にも今自分を評価する立場の人から、納得のいく評価をされたい、と思うことって、言い換えれば、いつでも誰からも評価されたい、っていうことと等しい。

それって、現実的じゃないし、結構しんどいです。

 

逆に、自分は誰から評価されたいのか、を大切にしてみる。

これならば、どんな組織やコミュニティの中で生きていくにしても、ブレにくいし、必要以上に揺さぶられない。

 

私の話で言うと、サラリーマン時代は、ありがたいことに相当高い評価を頂き続けてきたという自負があります。

それでも、それは結果論。

根本的には身近にいて、自分のことをよく見てて、物事の本質を分かってる人から評価されたい、っていうまぁ当たり前と言えば当たり前の軸がありました。

 

要は、評価される側の自分が、評価する側を選んでいたんです。

お前は誰から評価されたいのか、って。

俺はあの人から、ああいう人から評価されたい、って。

こいつやあいつのような、自分のことを日頃よく見てない奴に、表面的によくやった、って適当な評価なんて何も価値はない、と。

時にこの「誰から評価されたいのか?」っていうのを見失ったときは、ぶれまくって、勝手にイライラしちゃうんですよね。苦笑

 

評価される側が、評価される事に受け身になる。

それって実は、この人からも、あの人からも、ここでも、あそこでも、どこでも、全員から評価されたい、ということ。

そうなるべきではないとおもいます。

評価される側が、評価する人をしっかり選んで、で、その人に評価されれば、ある程度それでいいって、いう話にする。

それだけで、無駄なストレスから解放されます。

 

勿論、ここで言う自分を評価するべき人は、自分のことをよく見てて、で、物事の本質を見えてる、頭いい人を設定しないといけない。

だから、逆に自分が選んだ、その身近にいて頭いい人から自分が評価されてない、ってなったら、それは価値のない賛辞に塗(まみ)れていても、誰よりも猛反省するべきですけどね。

 

そして。

そもそも、大前提の話ですが、大事なのは評価よりも実力、です。

 

確かにサラリーマンにしてみれば、評価で出世も給料も勤務地も決まるから、会社の評価は大事。

といって、大事なのは評価よりも実力、であることを傍(わき)において立ち回って、都度都度その場所だけでの評価頼りで仕事をしてたら、気づいた時には、結局長い人生、その狭い場所でしか生きれない、っていう話です。

 

大事なのは、狭い場所で与えられる評価より、広い場所で試すことのできる実力です。

せめて評価を気にするならば、広い場所で試した実力を、広く、そして評価されるべき人に評価してもらいましょう。

 

もうその時。

そのことを教えてくれたのが、今回あなたが得た評価だとおもいます。

 

友人として。

 

株式会社アズワン_小林大祐