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酸っぱい葡萄(ぶどう)

酸っぱい葡萄(ぶどう)

お腹を空かせた狐が一匹。

頭上には、美味しそうな葡萄(ぶどう)がひとふさ。

 

狐は、一生懸命飛びつくが、何度飛びついてもあと少し届かかなくて食べられない。

そこに猿がやって来て、するすると木を登って、葡萄(ぶどう)を食べられてしまう。

 

唖然とそれを見ていた狐は、あきらめたように言う。

「ふん。どうせその葡萄は酸っぱくて美味しくないに決まってる。」

 

物、お金、地位、そして人や人からの承認や愛情など。

それらを手に入れたくてたまらないとき、それを得ようと力を尽くし、それでも手が届かないとわかってしまったとき。

私たちは一転、その対象を「価値がない」「低級で自分にはふさわしくない」ものとしてあきらめ、心の平安を得ようとします。

 

これを、フロイトの心理学では「防衛機制、合理化の例」といい、心理学者レオン・フェスティンガー氏は「認知的不協和理論」と定義づけています。

自分の考えと行動が矛盾したとき、感じる不安を解消するため、考えを変更することにより行動を正当化する現象。

矛盾する認知の定義変更をしたり、過小評価したりすることによって、自身の不安を解消する。

つまり、“手に入れたい”けど、“手が届かない(届かなかった)”場合、それを“価値がないものだ”としてあきらめ、心の平安を得る、とうこと。

 

英語圏で「Sour Grapes(酸っぱい葡萄)」は「負け惜しみ」を意味する熟語。

なるほど、な「酸っぱい葡萄」の防衛機制、合理化のメカニズムですね。

 

ただ、いくら負け惜しみをいってみたところで、その時「美味しそうな葡萄だ」と動いた心、言葉、そしてその葡萄を得るためにとった行動は、事実として変えることはできません。

そして、それらは全て周りの「わかる人」には全部見られているものですね。笑

 

どうせバレているんだから、羨ましさも悔しさも、全部認めてしまばいい。

だけれど、なかなかそう素直になれない、素直になる勇気がもてない。

強がり、自分が得る事ができなかった事実を、「酸っぱい葡萄」として誤魔化す。

そして時に、他人の成果や価値をも否定する。「そんな酸っぱい葡萄食べるなんて。」と。

 

自省してみれば、、、あるあるです。苦笑 

 

「美味しそうな葡萄」を見つけた時の高揚感。

得ようと力を尽くした過程。

そして、あと少し届かなかったという結果、感じた悔しさ。

  

少なくともこれからは、全部ちゃんと認めていこうと思います。

きっと、それができないうちは、次の葡萄にも届かないのでしょうから。

  

株式会社アズワン_小林