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続:「機会損失」にこそ眼を(人との縁、編)

昨日のブログで、「業務改善」よりも、「機会損失」に目を向けるべきだという話をしました。

プールや池の中に桶(おけ)を浮かべている状態。

業務改善というのは、浮かべた桶の中の水の量、つまり桶(おけ)の中の話。

機会損失というのは、プールや池の水のほうで、「機会損失」にこそ目を向けたい、と。

 

で、改めて考えると、これは人間関係、つまり人との縁にも、全く同じことが言えると思いました。

 

私は「人生は一回だ」とよく言います。

「会うべき人と会えずに死ねるか」とも。

 
業務改善、より機会損失こそ。

人間関係で置き換えれば、業務改善とは、今ある自分のコミュニティ、目の前にいる人、つながっている人たちとどううまくやるか、付き合っていくか。

勿論、そこに一生懸命になるのは基礎、だと思います。

例えばサラリーマンで言えば、会社に所属し、その組織の中の人間関係をうまくやろうとする。

仕事の結果も、組織の中でどう扱われるか、何の仕事を任されるかに人間関係が多分に影響しますから。

その結果として、偉くなったり、ならなかったりがある。

社内の仲間とうまくやる、上司に気に入られる、彼らが何を考えているかを先回りする。

そういうことが器用にできる人が、日本企業では登用されることが多い。

だからそれに腐心する。

上司に嫌われないようにしようと思うし、昨今で言えば、部下との付き合い方を間違えるとハラスメントになってキャリアを台無しにしてしまう。


かつての私もそうでしたね。

当時、自分は「仕事ができる」と自認していた。

けれど、起業した今の自分からすると、あの時の僕が仕事ができたのは、特別な技術や特別な成果を上げていたというより、会社の中で、自分や自分の仕事をどう認めさせるか、その「認めさせる技術」が高かっただけだ、と思います。

この組織の中でうまくやる方法、今あるコミュニティの中で、自分の意見を通りやすくする、相手から意見を引き出す、といったチューニング。

それはそれで、すごく大事なこと。

 

ただ一方で、今自分がいる、知るコミュニティの周りには何億倍もの人がいるのです。

「会うべき人に会えずに死ねるか。」

だから、目の前に現れてくれたその人に、どう興味を示し、相手を知ろうとし、相手に自分を知ってもらおうとするか。

桶(おけ)の外に向いていく感覚こそ。

 

私は組織から離れて一人で起業し、しばらく一人で仕事をしていました。

今は、素晴らしい仲間に恵まれています。

が、当時は組織がなく、人間関係はすべて外でした。

一人で新たなコミュニティを作っていくことからもう一度やり直した。

もちろん既知の方々と、新たな立場でチューニングし、続けていった縁を含めて、ですが。

そういう手順を経て、今、少なくとも死なない程度に商売ができている身として、「機会損失」こそ、と。

つまり既存のコミュニティの中のチューニングよりも、新たなコミュニティ、その種(たね)である人との縁を広げていくための時間や手間、アンテナを張り巡り尽くすことを、の大切さがDNAレベルで刻みこまれたような気がします。

 

この五年間、関わらせていただいた、様々なプロジェクト。

なにかの広告を打って、お客さんを呼びこんだわけではない。

全て、人の縁でいただいた仕事です。

一つ一つが、人と人とのつながり、縁を創り、広げ、掘って生まれ、頂いた仕事。

一つ一つの仕事に、一人一人のキーマンとの縁がある。

実名は挙げられないけれど、誰さん、誰さん、誰さん、そのまま積み重ねていけば、季節のお便りや贈り物の宛先になる人たち。

  

この人たちに会えなかった人生なんて考えられない。

勿論、今私の会社に集う仲間たちも、です。

 
今日は、何が言いたいか。

今の自分の組織やコミュニティの中でどう立ち振る舞うか、のチューニングはとても大切です。

それが自分を、加えて自分が属する組織や、そこにいる人を幸せにする条件でもある。

 

が、逆に言えば、それは最低条件。

今のコミュニティの中でうまくいっていることをもって満足してしまい、それで逆に人と出会う縁の機会を損失していないか、これは本当に考えたほうが良い。

 

人生は一回。

セカンドシーズンはない。

ドラゴンクエストは1、2、3、、、と、最後に悪を倒すという共通点において、無限に新しい冒険が始まるけれど、人生はそうではない。

すべてがつながっていて、不可逆で、そして有限。

これは孫正義でもドナルド・トランプでも、僕でも、世界中の誰もが同じ、唯一かつ平等な条件です。

だから、出会うべき人に出会うための具体的な縁作りを意識しないといけない。

目の前に現れた人との付き合い方や、出会いの場所にいる自分を無駄にしてはいけない。

 

すべてのパターンに当てはまるわけではないけれど、サラリーマンも起業も経験した僕としては、勤め人は加齢とともにチャンスが少なくなっていく傾向があると思います。

一つには、一つの組織の中で人間関係のチューニングを続けすぎると、感度が鈍る。

チューニングがうまくいっているほど、その流儀と合わないものへの適応が難しくなる。

別の流儀に合わせるための労力やパワー、テクニックは、加齢とともに劣る。

 

二つ目には、特に大きな会社のサラリーマンは加齢とともに役割を与えられ、外向きの仕事が減る。

例えば、若手のときは、飛び込み営業をしていたものの、課長になると部下が連れてきたところに同行するだけになる。

部長にもなると、契約前後の挨拶だけ?

更にそういう立場になると、会議や決裁など、人間関係を紡ぐところとは関係ない役割が増えますしね。

そういうゲームの中に身を置いていたかと思うと身震いします。

 

既存のコミュニティのチューニングに腐心するよりも、出会うべき人に出会うための縁を紡ぐ機会を喪失することの恐ろしさに目を向けるべきだと思います。

人生は一回、セカンドシーズンはない、に加えてもう一つ、人生は「短い」わけではなく、昔より「無駄に長く」なる。

定年は60歳が70歳になり、健康寿命は90歳まで伸びる。

晩年の、余裕で自我のある数十年をどう過ごすか。

 

老後を決めるのは昔の会社の肩書ではない。

家族でも、地域でも、趣味の仲間でも、最後にものを言うのは豊かな人間関係だという論は、多いし正しい。

箱から放り出された後は、誰もが「人間関係上の個人事業主」になる。

仕事に例えるなら、「こんにちは」と行ける縁ある営業先がどれくらいあるか。

シルバー人材センターに行かないと仕事が探せないのは、営業先がなくギグワーカーとしてポータルサイトに登録して仕事をもらうしかない状態と同じ。

地域のコミュニティに無理やり参加しないと、趣味の将棋も旅行もできない、というのも一緒。

将棋も旅行も、ゴルフも、マージャンも、一緒にしたい人に順番に声をかけるぐらいの仲間は欲しいじゃないですか。

 

誰もが、最後にものを言うのは人と人とのつながりだと分かっているのに、会社という箱の中で、日々その感度が削がれていっていることに、無自覚。

社内会議や打ち合わせに時間を取られ、今日は1日会社にいた。

今日は外の人に会っていない。

一週間、新しい人に誰にも会っていない。

これは自殺行為だと思います。

 

私は、起業してから「この人に会えてよかった」という人に、サラリーマン時代の質と量をはるかに凌駕するほど出会うことが出来ました。

仕事ができたかどうかに関わらず、この人に会えてよかった、この人と話ができてよかった、この人と飲みに行けてよかった、と、総じて新しい人間関係を育めてよかった、という人がたくさんいます。

だから、人間関係こそ「機会損失」を避けるべき、と本心で思っています。

 

やがて体が動かなくなった時に、「あの人にもう一度会いたい。」などとつぶやく人生はまっぴらです。

「あともう一人だけでいい。あの人のような人と、新しく出会いたかった、、、無念」と死んでいく、そういう人生がいい。

 

人との縁こそ、機会損失に要注意

「会うべき人に会えずに死ねるか」

 

株式会社アズワン_小林大祐