例えば、YouTubeに、同じテーマの2つの動画が並んでいたとします。
片方の再生数は、100回。
もう一本の再生数は、100万回。
タイトルも似ている、サムネも似ている。
見ていないので、中身の良し悪しはまだ分からない。
それでも多くの人は、おそらく後者、100万回再生の動画を見るはずです。
なぜ?
「100万回見られているのだから、何かこちらの方がいい気がする」から。

動画だけの話ではありません。
私たちは、何かを自分の好みで選んでいるつもりで、実はかなりの部分を「他人が既に選んだ」という事実に動かされています。
自分が好きだから選んだのか?
それとも誰かに選ばれているものを、自分も好きになったのか?
逆に言えば、人気を信じるあなたの行動が、誰かの人気を現実にしているということです。
勿論、売れたものには大抵何かしらの良さがあるものです。
だが、良いものが全て売れるわけではない。
この非対称性を見落とすと、私たちは売れているものを過大評価し、売れていないものを過小評価してしまいます。
選ばれたもの、売れたものの理由は、実は後から発見されます。
勿論、選ばれなかったもの、売れなかったものの理由も、また然り。
私たちは結果を見てから、原因を作る。

これは、人が、企業が、誰かに評価される時も同じ。
人気のある=多くの人に選ばれている人や企業は魅力的で、そして選ばれるだけの理由があるように見えます。
能力があるから注目されたのか、注目されたから能力があるように見えるのか。
この境界は、思っているほどハッキリしていません。
そして、人や企業の人気もまた、そのまま実力とはならない。
人気とは、実力と、偶然と他人の視点が絡み合った結果の評価だから。
私たちは今日もその仕組みの中で、何かを、誰かを選んでいます。
だから、たまには少しだけ疑ってみてもいいのかも。
それは、その選択は、本当に価値の証明なのか。
それとも先に選ばれているものが、さらに選ばれているだけなのか。
売れたものが、すべて良いものなのではないんです。
良いものの中から、たまたま先に売れたものが、売れた後で「良いものだった」と呼ばれはじめているのかもしれない。

良いものであるから、選ばれる、その実力。
選ばれた以上、良いものであろうとする、向上心。
この両輪が回り続けることでたどり着く先こそが、いわば「本当の人気」なんだろうな。
私が、皆と目指すはそこ。
株式会社アズワン_小林大祐